情報という名のラヴレター

マチュア物書きをしています。

もともと小説書いたりコラム書いたりなんですが、最近の書き物は地元イベントの紹介に偏っている今日この頃で、頭痛が痛いのであります。とても楽しいんだけど、他のものも書きたい。

 

情報というものはどんなものであれ、発信しないと存在しませんが、受け手がいないと意味をなさない。その受け手は目の前の人なのか、社会全体なのか、まだ見ぬ未来の人なのか、というのはあります。

 

同人誌的な、あるいはオタク的なモノの書き方というのは、とにかく対象ネタへの愛をがんがん掘って書いていって、その愛にアテられる受け手を待つわけです。

手づくり作家さんもこういう層の方は分厚いですね。自分の作品、素材に手をかけ愛をかけて作り上げて、それに共感してくれる人が顧客です。

受け手のことをとりあえず棚にあげる、という意味ではマスターベーションですが、おもしろいもので好事家の輪が広がります。ただ、輪の外側からは閉じたコミュニティに見えがち。

まぁある意味、書き手作り手の矢印は内側に向いてますから、むべなるかな。

 

通信社的なモノの書き方は、書き手の愛は主に、正確性速報性中立性に向けられます。

万人に向けられたシンプルな記事。ただ、万人向けということは、だれかに刺さる、ということは少ないのです。全方位を向いた矢印の集合はただの球で、結局だれにも向いていません。

だれかに刺さる記事を書くのは、通信社の報を受けた別のメディアの仕事って感じ。

だってエモーショナルであることは、正確性中立性と反しますから。余分な感情は出来るだけ廃し、事実を書くことに努める文です。

 

 

上に「だれかに刺さる」「エモーショナル」と書きました。特定の「だれか」。マーケティング用語でいうところのペルソナです。

よく、モノを売るのに、地域を愛するのに、ストーリーが大事といいますね。ストーリー=「物語」。すなわち単純な事実や筋立てではなく、人の心を動かすエモーショナルさが入った「物語」。

ペルソナを想定し、ペルソナに矢印が向いていて、その感情を動かす文、物語。ペルソナへのラヴレター。

情報の受け手を動かす文章はそういう文なのだと思います。

週刊誌月刊誌って、そういうのがよく出るメディアですよね。ネットでは美容健康、心理、情報商材なんか、すごくあからさまです。

 

 

私の文の書き方は、はじめに書いたオタクのそれなんですね。

同人作家的な内向き矢印なスタイルでもエモーショナルな文を書く人はたくさんいますし、描き続ければ多くのファンを持つにいたります。エモーショナルであること、共感的であることは、人の心をよく動かします。

私は基本的に人間への関心が薄いせいか、感情をあらわす語彙がひどく乏しくて、小説を書いていても人の心の内側を直接描写することはほとんどありません。

その代わりに、手が震えているだとか、普段なら転ばないシチュエーションで転ぶとか、そういう外から見えるものを書くのが私の文章で、エモーショナルには遠いかたい文です。

 

対象の内側は見えないので、外側を出来るだけ多角的に、距離もいろいろ取りながらじっと見て、一部を切り出して文章にします。イベントの出店者紹介を書くときはそんな書き方をしています。(文体は自分のデフォルトよりも少しやわらかくしています)

わりと顧客層のはっきりしたイベントですが、そこに向けたエモーショナルさ、その人たちの抱く共感がどういうものなのか、実感がないので、そこに向けたラヴレターが書けないのです。

形だけまねるのを繰り返して身につける(形で覚えたことはいつか頭に届きます)という方法はありますが、なにぶんボランタリーでやってることなので、そこまで力を入れる気持ちもゆとりもないのが正直なところ。

そのかわり書く対象にはその時できうる限りの偏愛を注いで書いています。集客を要するイベント向けの文章としては、次善の策ではありますが。

 

愛は感染することを信じて。