都会と田舎とマチとムラ

まちおこし地域活性化の話でときどき耳にする「一丸となって」「all地域で」がとても苦手です。

何年か前に都会と田舎の違いはなんだろう、という話をよく子どもとしていて。建物の多さとか賑わいとかいろいろ互いに言いつつスッキリしなかったんだけど。
最近ちょっと自分の頭にはひとつの仮説ができてきて。それはコミュニティの存在の仕方なんですね。

乱暴にいうと、多様なコミュニティが複雑に重なりあって、個人のコミュニティ間の移動や所属の重なりの自由度が大きいのが「都会」。
コミュニティが複数あっても、それぞれがほぼ重なり合い、移動や所属の重なりの自由度が低いのが「田舎」。
ここで自由度というのはカオスと言い換えてもいい。

シンプルなコミュニティを「ムラ」、コミュニティ群が多様化しているのを「マチ」と言い換えると、もちろんマチの中にムラはたくさん存在するのだけど。
ムラから出るという選択が、地域から出るという選択にそのままつながりやすいか否かが「都会」と「田舎」の違いともいえるかもしれません。


そういう意味では私はマチ育ちですし、マチが好きです。


学校、特に小学校なんてのは、ホント「ムラ」で、子どもならではの潔癖さや教える側の理想もあって、げふんげふん。つらい。


地域活性したい方。あなたがやりたいのは「ムラおこし」ですか? 「マチおこし」ですか?
どちらも大事だと思いますが、両方「まちおこし」と日常では言うので、混線注意です。

今は電脳空間にもコミュニティがあって、自分の住む地域のしばりから自由なコミュニティにも棲むことができるのはとてもありがたい世の中です。


コミュニティが強いことが大事、とよく言われます。
一方で、自殺が少ないのはコミュニティのゆるい地域だという統計があります。あ。元論文まだ取り寄せてないや。
おそらく、強い単一コミュニティは、はぐれものを(社会的に、そして時には物理的に)殺すのです。
コミュニティが多様化していると、はぐれものが住む隙間ができやすいかなぁとちょっと思います。